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「スピリチュアルペイン」ーー自己の存在と意味の消滅から生じる苦痛へのケア

「スピリチュアル」とは、超自然的な力で、科学的な根拠とはかけ離れていると認識する人も多いだろう。しかしWHO(世界保健機関)が、憲章前文の中で健康の定義「肉体的にも精神的にも、そして社会的にも全てが満たされた状態であること」に、1998年「スピリチュアルに満たされた」という文言も加えることが提案された。

結果として採択されなかったが、WHOで議論の対象になることから、スピリチュアルが科学知見から離れたものではないことがわかる。スピリチュアルに満たされるとはどういうことか。スピリチュアルケアの専門家である東北大学の谷山洋三准教授の事例研究を紹介する。


僧侶でもある東北大学の谷山洋三准教授が行うスピリチュアルケア・ボランティア

僧侶でもある谷山さんは大阪の病院で臨床スピリチュアルケアのボランティアをしている。スピリチュアルケアが対象にしているのは主に病に苦しむ人々であり、患者の精神的な悩みに寄り添うケアとされる。

谷山さんは患者の信念に寄り添うスピリチュアルケアと患者を宗教の教義を用いて導く宗教的ケアとを厳密に分けて考えてはいるが、僧侶である彼の場合はスピリチュアルケアの基本に加えて必要に応じて宗教者としてのケアも行った。その谷山さんの経験から収集された事例のひとつに、自分は無神論者だから宗教的なケアは必要ないと言っている90歳のがん患者Eさんと谷山さんとのスピリチュアルな関わりがある。


無神論者とスピリチュアルケアのある事例

Eさんは無神論者を表明しており、谷山さんは宗教者として彼と関係を作れるとは考えていなかった。そのため谷山さんはEさんの身の回りのことを手伝ったり自宅を訪ねたりという形でEさんと関係を作っていた。しかし体調の悪化につれてEさんの様子は変化をみせはじめる。そしてEさんには死期が迫っていた。

寂しさが募る様子で「墓が気になる」と言い出して墓参りを希望し、ついには「(院内の仏堂に)お参りをしたい。法話を聞きたい」と言い出した。その変化に谷山さんが驚いて部屋を訪ねていくと「もうだめだ。迷いがある。死について迷いがある」と訴えた。やがてEさんの不安はどんどん増大し「おれはどうなる」と言葉にするようにもなった。付き添っていた看護師は分かっているがとても答えることはできない。谷山さんはスピリチュアルケアの一環として「もう長くないよ。奥さんが迎えに来てくれていい所に連れて行ってくれる。」と答えた。するとEさんは「お願いします。」と谷山さんに握手を求めた。


死の間際に訪れた家族との関係の変化

死去の3日前にはEさんの娘が訪ねて来た。もう話すことが難しいEさんはノートに「死ぬ、りんじゅう」「さよなら さよなら」と書いてみせた。Eさんはコミュニケーションができるうちに娘にお別れを言いたかったのだ。そのことに谷山さんは気づいていた。しかし娘に真意は伝わらず、娘は「もう帰っていいの?」とEさんに尋ねてしまう。谷山さんはEさんに「他に言うことはないの?親として娘に伝えることはないの?」促すと、患者は自らの口で「今まで、ありがとう」と娘に伝えた。娘は父親の真意を理解し「お父さんの娘でよかった」と涙をみせ、父親の言葉を喜んだ様子だった。谷山さんのレポートにはEさんと娘の関係性はこれまで円満ではなく、これは死を前にした和解であったことが示唆されている。

娘が帰った後にEさんは「死ぬまでのプロセスを教えて欲しい」と谷山さんに頼む。谷山さんはどのように人があの世に旅立つのかを宗教的な側面も含めてEさんに伝えたのだった。


緩慢な自死の試みから満願成就へ

同じ日、Eさんがひと月ほども故意に食事量を減らしていることが判明する。死期を早めようとしたのだろうか。谷山さんが「死んでから奥さんに怒られるよ。娘さんが用意したメロンぐらい食べていったら?それが愛情ってもんだよ。」と諌めると、Eさんは納得した様子でメロンを一口食べたのだった。翌日にはEさんは声をだして「満願成就」と谷山さんに伝えている。終りが近いことはお互いに分かっており、谷山さんはEさんに思い残しがないことが嬉しかった。Eさんはその二日後にこの世を去った。


死に向かうスピリチュアルな痛みの正体

Eさんの抱えたような苦しみはスピリチュアルペインとよばれる。これを「自己の存在と意味の消滅から生じる苦痛」と定義する専門家もいる。人間は過去、現在、未来の連なりから現在の意味を見出しているが、死が迫り将来が消滅すると、私が存在する「現在」の意味がわからなくなる。体が衰弱し無力感や他人へに依存を経験すると、生きている自分を無価値だと思ったり、無意味だと感じるようにもなる。これまで歩んできたはずの「私の思う私」の物語を手放し、別の「将来のない私」を受け入れなければならない。これがスピリチュアルな苦痛、スピリチュアルペインの大きな一側面だ。


谷山さんのケア

谷山さんとEさんの事例を一読しても、多くの人には谷山さんがスピリチュアルケアの専門家として特別なことをしているようには見えないのではないだろうか。しかし、谷山さんは実は専門家として意図のある関わりをしている。特に谷山さんがEさんの不安に対して「奥さんが迎えに来てくれる」と答えている点がそれにあたる。谷山さんは、経験とそれまでに積み上げられたスピリチュアルケア研究の知見から「お迎えが来る」と考えることがEさんの孤独と不安を軽減することになると考えたのだ。過去にその判断の根拠となりえる「お迎え体験」の社会調査が行われている。


「お迎え体験」の社会調査

2003年に在宅緩和ケアが専門の医師、岡部健が中心となって行った患者の遺族を対象とした社会調査によって、死期の迫った患者の半数以上がお迎え体験をしていることがわかっている。お迎えに現れるのは仏などよりも身近な死者である場合が多い。また、お迎え体験後は回答者の約65%以上は死を予期して恐れたりはせず、穏やかな様子であったこと報告されている。これら調査分析から専門家らが指摘すたのは、お迎え体験を科学的事実ではない死期の迫った患者のせん妄であるとして無視してはいけないということだった。それは、生前と同じ人格をもつ死者に会うという経験は、死によって「私」が消えてしまうという不安を解消するスピリチュアルケアの作用があるからだ。自分もまた、お迎えに来た死者と同じように「私の人格」が「私」として存在し続けるのだという安らぎになる。また、自分の死を見つめることのできなかった人が、一人ではなく親しい死者に見守られ導かれるのだというイメージを作り、死を受け入れていく礎にもなる。

ただし、患者にお迎えについて伝えることには落とし穴もあることも谷山さん氏は指摘している。Eさんが食事を減らし死期を早めようとしたことの背景には、早く亡くなった奥さんに会いたいというEさんの願望があった可能性を否定できなからだ。


WHOのスピリチュアル

WHOは「スピリチュアルな要素とは人間の生の全体像を形作るものであり、生きている意味や目的についての関心や不安と関わっていることが多い」と説明している。WHOは健康は人権の一部であるとして設立された機関である。つまり、WHOは身体的、精神的、社会的なケアだけでは人の健康の状態として不十分であると考え、「スピリチュアルに満たされる」つまり生死の意味や目的を奪われないことが人間の人権に関わることだと考えているということなのだ。


闇へ降りていく道標としてースピリチュアルケアの存在意義

お迎え体験の調査をした岡部は、自らががんを患い死期が迫っていることを感じた時、痩せた山の尾根を歩いている気分だったと語ってる。「右の生の世界には、化学療法だ、緩和医療だ、疼痛管理だとか、数え切れないほどの道標が煌々と輝いていた。ところが、反対側の死の世界に降りていく斜面には、黒ぐろとした闇に包まれ、道標がひとつもない。」

体や心の痛みに働きかけるのは「医療」であり、対象は「生」である。しかし死にゆく過程へ向かう時の苦しみへの対処法はわからない。それが岡部の言う「道標がない」ということだ。体の痛みもそれに伴う心の苦しみも、死期迫る人が抱える辛さの一側面ではある。しかし、死んだらどうなるのかという不安や辛さは、それとはまた別の形で存在し、患者はそこから救われたいと願う。「スピリチュアルに満たされる」ことは、死にゆく人の願いを満たすという側面をもっている。


参考資料

■鎌田東ニ 企画・編 「講座スピリチュアル学第1巻 スピリチュアルケア」2014
■谷山洋三「死の不安に対する宗教者のアプローチ−スピリチュアルケアと宗教的ケアの事例ー」宗教研究 80 (2) 457-478, 2006
■村田久之 「終末期がん患者のスピリチュアルペインとそのケア」日本ペインクリニック学会誌 18 (1) 1-8, 2011
■奥山敏雄 「宗教的ケアとスピリチュアルケア」社会学ジャーナル 42 1-12 2017
■厚生省 WHO憲章における「健康」の定義と改正案について 1999


ライター磯部
安楽死で死なせて下さい 橋田 壽賀子

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